興福寺 武家を支配する 権力 

順慶の誕生:天文18年(1549)藤勝(後の順慶)、父順昭が延暦寺入寺

祖霊社

多聞日記に「光ル物」「狐」により「狂気」、3年前の「もかさ(天然痘)」治療?

大クスノキ

天文19年(1550)「棟梁藤勝殿」、順昭が筒井に帰り28歳で死去

御神木

逸話「元の木阿弥」:盲目の僧侶を順昭の影武者にしたのか?

天守台石垣

慣用句自体は当時あるが、順昭を指すのは元禄11年(1698)「元禄太閤記」

実際は沢氏や三好長慶との関係強化

内憂:興福寺と連携する福住宗職VS河内勢力と結ぶ筒井順政(順慶の祖父)

古市氏・越智氏の反発、河内の安見宗房のもとに出奔、その後援で復帰

遊佐氏の娘と婚姻、福住宗職が出家

逆さ地蔵石垣

外患:三好長慶VS安見宗職

永禄2年(1559)松永久秀筒井攻め

「大乗院家奉行方引付」戌亥脇衆、超昇寺入道、宝来、郡山辰巳以下松永弾正

忠人数引入」、「山中衆、山田、多田、福住、古市以下弾正忠同心也」

柳生宗巌をはじめ多くの大和衆が順慶を見限り久秀に味方、筒井城から没落

永禄6年(1563)興福寺が久秀を「官務(衆中之棟梁)」と公認

興福寺が順慶を見限る、順慶にとって久秀は宿敵

追手向櫓