稗田阿礼 目にしたものを 言葉にす

賣太神社境内に立つ稗田阿礼記念碑

稗田阿礼:生年654年ー没年不詳、飛鳥時代から奈良時代にかけての舎人(官人)

『古事記』の編纂者の1人として知られる

実在については諸説あり、暗誦する役割をもつ人たちの集団とする説もある

また、性別についても議論がある

『古事記』の序文によれば、天武天皇に舎人として仕えており、28歳のとき、記憶力の良さを見込まれて『帝紀』『旧辞』等の誦習を命ぜられたと記されている

元明天皇の代、詔により太安万侶が阿礼の誦するところを筆録し、『古事記』を編んだ

時有舎人。姓稗田、名阿禮、年是廿八。爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。即、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。(『古事記』序)

そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳

聡明な人で、目にしたものは即座に言葉にすることができ、耳にしたものは心に留めて忘れることはなかった

すぐさま(天武)天皇は阿礼に「『帝皇日継』(ていおうのひつぎ。帝紀と『先代旧辞』(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」と命じた

通常舎人は男性だが、江戸時代に女性説が提起された

平田篤胤は『古史徴開題記』の中で「阿礼は実に天宇受売命之裔にて、女舎人なると所思たり。」と述べている