国宝 鎌倉時代 建立

霊山寺本堂(国宝)

入母屋造・本瓦葺きの堂は、棟札により弘安6年(1283年)の建立と判明しており、鎌倉時代和様仏堂の代表作と評価されています

堂内の厨子も同時代の作で、内部には秘仏である薬師三尊像(重要文化財)が安置されています

鐘楼(重文)室町時代初期の創建

霊山寺の所在する富雄の里は、古事記には「登美」であり、日本書紀では「鳥見」の地となっています

敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました

天武12年(684)4月5日より21日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇されたのです

神亀5年(728)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参

皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命

天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました

平安時代、弘法大師が来寺され、登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、奥の院に大辯才天女尊(辯天さん)として祀られました

それまで当寺は法相宗でしたが、弘法大師が真言宗を伝えられ、以後は法相宗と真言宗の2宗兼学の寺となりました