霊山寺 三重塔 重文
天平6年(734年)、聖武天皇は行基に命じて登美山に大堂を建立させ、国家的な祈願寺としての歩みが始まりました
さらに天平8年(736年)、来日したインドのバラモン僧・菩提僊那が、登美山の地勢が故郷インドの霊鷲山(りょうじゅせん)に似ていることから、この寺を霊山寺と名付けたと伝えられています
聖武天皇からは「鼻高霊山寺」の寺額を賜ったとされ、ここに霊山寺の名が確立しました
平安時代には、空海(弘法大師)が霊山寺を訪れ、登美山に龍神を感得したと伝えられています
これを契機として、奥之院に大辯才天女尊が祀られ、霊山寺は法相宗の寺院でありながら、真言密教の要素を併せ持つ二宗兼学の寺院となりました
鎌倉時代には僧坊が21か寺を数えるほど栄え、現在に残る本堂や三重塔といった優れた建築が造営されました
兵火を免れたことで、建築や仏像が良好な状態で伝えられている点は、霊山寺の大きな特色です
行者堂
近世には江戸幕府の朱印寺として一定の寺勢を保ちましたが、明治時代の廃仏毀釈により一時衰退します
その後、昭和26年(1951年)に独立して霊山寺真言宗を称し、今日に至っています
谷を挟んだ南側の斜面には三重塔(重要文化財)が建ち、檜皮葺き・高さ約17メートルの優美な姿を見せています
塔内初層には、五大明王図や仏涅槃図などの極彩色壁画が描かれ、保存状態の良さでも高く評価されています
婆羅門僧正僊那遺跡










