鎮座地は 丸山古墳に ほど近く

平安時代初期に編纂された「延喜式神名帳」という全国の神社一覧文書によりますと、この神社は、月並祭や新嘗祭に朝廷から幣帛 (へいはく=お供え物の布類)を奉られて「大社」という格式を認められた神社として記されています

従って、延喜年間(901~923AD)以前に既に存 在していたことは確実です

鎮座の起源は奈良時代以前のおよそ古墳時代まで遡ることができます

その後、富雄川流域でもこの一帯は古代豪族の小野氏が治め、林業を営む杣人の里となっていました

福神宮には、当神社を創建したと伝えられる小野福麿公がお祀りされています

第三十代敏達天皇の直系の末裔で、春日皇子や小野妹子の子孫にあたる、奈良時代の人です

参拝者から見て本殿右側から見て三柱の神々が祀られています

建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
武乳速之命  (たけちはやのみこと)
櫛稲田姫之命 (くしいなだひめのみこと)

建築様式は五間社流造(ごけんしゃながれづくり)と言い、柱間が五つに分かれ、屋根が一方に大きく流れ、内部も五部屋に分かれており神坐の在る部屋の上には破風が三ケ所付いています

五間社流造正面の中央と両脇に千鳥破風を設け、中央の間と両側の間を神座としています 

本殿は室町時代の典型的な手法を示すものとして、明治40年に文化財の指定を受けている          

建立年代は、南北朝時代の永徳3年(弘和3年、1383)であることが明らかとなっています

昭和40年から、41年に掛けて建立より初めての解体大修理を行う