登美連 先祖饒速日 祀る社

西本殿の祭神が神皇産霊神・饒速日命・天児屋根命、東本殿の祭神が高皇産霊神・誉田別命

桜井の等彌神社とは一字異なる

石木郷他の氏神さまであるが、農作物成育の粥占いで有名であり、占いの結果は半紙?に書かれ境内に掲示されている

また、饒速日命との関連を社伝で明らかにしており、立地雰囲気等そっくりな三碓神社の祭神は、義兄弟の長髄彦を祭る

この地がニギハヤヒの住居地だったそうで、子孫たちがニギハヤヒ夫婦を祀ったのが始まりなんだそう

拝殿

飛鳥時代、大和地方平定に功績のあった饒速日(ニギヤハヒ)命の子孫である登美連(トミノムラジ)が、饒速日命とその妻の住居地であったこの地にご夫妻を祀ったのが始まりとされる

なお、連とは姓のこと。現在の主祭神は五柱いて、その中に饒速日命もいる。小宮も合わせると二十二柱の神を祀っている

主祭神の二柱、高皇産霊(タカミムスビ)神と神皇産霊(カミムスビ)神は饒速日命と共に祀られる

神武天皇の大和入りの祭祀の主祭神が高皇産霊神で皇祖神である。女神的要素を持つ神皇産霊と対になり、男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる

通称、木嶋明神と呼ばれ、参道の石燈籠は多くは木嶋大明神と彫られている

奈良時代、平城京から一時滋賀の紫香楽宮などに遷都した時期があったが災害が続き、平城京に都が戻る

この地は富雄川の流れを使った木材の集積地で、諸国からの用木を積み置く島に、御用木守護ため誉田別(ほんだわけ)命を分霊し、木嶋大明神となる

誉田別命は応神天皇にあたり皇祖神でもあるが、当時は神仏習合だったため、仏教守護としての役割もあったと思われる