千早社 楠木正成 祀る社

千早神社は千早城の本丸址に位置しており、もとは千早城の八幡大菩薩を祀って鎮守として創建したものであったが、時代が下って後に楠木正成、楠木正行、久子刀自を合祀した

1874年(明治7年)に社殿を再建、明治12年に祠を建て千早神社となる

千早神社を祀る場所が二ノ丸で原形はかなり損なわれて、社務所一帯が三の丸と呼ばれている

四の丸は長さ約100m、幅30mの平坦地で城内で一番広い場所となっているが、公園化のため破壊されているようである

三の丸と四の丸の間の鞍部にかつて空堀があったと言われているが、参道のため埋まってしまったのか確認できない

千早本道分岐

また四の丸の西下には、武者隠し状の帯曲輪が当時の面影が残っている

村立赤坂小学校の東が的場と呼ばれており大手であったと言われている

楠木正儀:後醍醐天皇の寵臣である武将楠木正成の三男

父を湊川の戦で、兄の正行と正時を四条畷の戦いで戦死したため、急遽楠木氏棟梁と南朝総大将の地位を継ぎ、幕府を代表する名将高師直・師泰兄弟と戦った

登山道修理に使われる木材

苦労の跡が偲ばれます

祈りが込められた石仏

5合目休憩所

仮設トイレがあります