猟師が 放ったひと言 悪沢岳

悪沢岳最高部に立つ

百名山2座目、3000m超峰5座目

国土地理院の地図では東岳

初めて悪沢岳が活字で報告されたのは、荻野音松氏の「駿州田代山奥横断記」と題する紀行でであつた

この白面の一書生が明治39年(1906)9月初旬、大井川銃竜西股左岸の中腹から悪沢岳を眺めた時のことを、次のように記している

たまたま樹間より谷を越えて赤石山脈中に赤く禿げたる一雄峰を望む

この山河と言ふと晃平(案内の漁師)に問へば、この山より出る渓流の西股に注ぐもの甚だ険悪なれば、これを悪沢と呼び、

この山即ち悪沢岳と言ふなりと答へしは、頗る口から出まかせの言草に似たり

河名、地名等何等徴すべき図書あるなくこれを知る人とても更になく、余はただ大村晃平一人より聞くがままにここに記す

甲州の一猟師が、さりげなく言った悪沢岳という名が、やがて確定的なものとなった

それはちょうど日本アルプスの探検時代であって、その頃はまだ少数であった山好きが、この紀行を読んで、そんな未知の山があるのかと驚いたのである

明治42年7月、小島烏水ら日本山岳会初期の錚々たるメンバーが悪沢岳に登頂した

ところが頂上にはすでに人跡があった

白木造りの祠が三つあり、岩角に赤錆びた鉄の御幣が立ち、付近には参拝者の残して行った木札が散乱していて、荒川大明神と書いたものもあった(深田久弥・日本百名山より)