氏子座席 上下をめぐり 分祀する
大沢八幡神社:先人曰く、社殿、彫刻は新井一門とある
一の鳥居‥国道176号線から一筋山手側に、位置するが、社殿は奥の山の麓
延喜式神名帳にある二村神社(身内村東山下)は、室町時代の文明年間までは、酒井、味間、宮田の三庄 の「産神」であり、大沢庄もこの中に含まれていた
文明十四年九月九日(1492)二村神社の神事の日、氏子座席の上下を巡って争が起こり、結果、氏子 がそれぞれ祭器等を持ち帰った
御神体を真南条が、神輿を味間村が、獅子と六点の祭器を板井村が持ち帰り社を建てて祀ったが、
この時、大沢村も鎮護神「正八満宮」を奉迎し、社を建て氏神としたのが 大沢八幡神社の由来とされている
二体の神輿が納められています
旧来より武門、武将、国造、国司、藩主の崇敬が厚く今も、開運満足、厄除削除、商売繁盛、事業繁栄、社運隆盛、心願成就、良縁成就、身体健全、進学成就、学業増進の願い事に御利益がある
宝物 神社偏額
八幡宮の御額字は「是は篠山城主松平紀伊信峯殿弟聖護院内庄恵院晃珍僧正、明和六年八月十八日染筆、大沢村杉本八郎辺衛請儒ここに納むる」の記載がある(1769)(1769)‥とある
神額…「是は篠山城主松平紀伊信峯殿弟聖護院内庄恵院晃珍僧正、明和六年八月十八日染筆、大沢村杉本八郎辺衛請儒ここに納むる」の記載がある
由緒書き
小社











