信貴山は 最大級の 山城

信貴山稜線

雄岳・雌岳に築かれた城郭は奈良県最大級の山城と言われている

天守は雄岳433mに築かれていた

信貴山城は、軍事機能、政治機能を一体化した山城の先駆けとして大和国の城郭に大きな影響を与えた極めて重要な城であった

永禄2年(1559)三好長慶の重臣松永久秀が入城

信貴山城を本格的な城郭として築いたのは木沢長政

天正5年(1577)信長と対立した久秀は籠城したが攻撃され自害した

河内や山城南部の守護代を務め、一代で勢力を築き上げたが最終的に三好長慶に敗れ戦死した

織田方の軍勢が城下を焼き払い、落城後は廃城となった

信貴山城の戦いで朝護孫子寺の堂塔六十余宇が全焼した

慶長7年(1602)に豊臣秀頼が本堂を再建し、慶長15年(1610)に伽藍の再興が完成した

千手院では護摩焚が行われていました

昭和26年(1951)、本堂が焼失するが、同年には高野山真言宗より独立して「信貴山真言宗」を創立している

昭和33年(1598)には本堂が再建され、落慶法要が行われた