神職は 伊福部氏が 世襲
明治4年(1871)に国幣中社に列し、戦後は神社本庁の別表神社となる
嘉祥元年(848)、霊験を現して国府の火事を鎮火したため従五位下が授けられ、官社に預かった
当初より伊福部氏が神職を世襲したとされる。伊福部氏は『因幡国伊福部臣古志』によると、大己貴命の神裔を称すが、第8世を櫛玉神饒速日命とするなどの混乱がある
また、第14世の武牟口命を直接の祖として、平安時代の第36世助茂臣(すけもちのおみ)の子から2流に別れ、
第37世厚孝宿禰(あつたかのすくね)の流れが「国造」「大宮司」と称して、第55世伊福部信世の時に戦乱により国を去ったこともあったが、一貫して奉仕したと伝える
明治13年(1880)第65世の信世(作曲家伊福部昭の祖父)の時に神職を離れた
亀金岡 武内宿禰命終焉之地
明治32年(1899)発行の五円紙幣にある宇部神社の拝殿が使われた
双履石(そうりせき):本殿後背の亀金山(亀金岡)上の本殿を見下す位置にあり、祭神終焉の遺蹟と伝える磐境として信仰される
直下は直径14メートルの円墳(宇倍神社古墳または亀金丘古墳/宮下46号墳)であり、1942年(昭和17年)の土砂崩れで墳丘の一部が損壊するとともに竪穴式石室が露出して副葬品が出土した(石室は出土品の大半とともに埋め戻し)
竪穴式石室は扁平な割石の小口積みによるもので、石室主軸を東西方向とし、長さ2-3メートル・深さ約1メートルを測る。副葬品としては銅鏡・鉄剣・玉類・鉄鏃等の鉄製品が検出されている。築造時期は古墳時代中期の5世紀前半頃と推定される










