池田藩の 歴史を学ぶ 墓所巡り
光仲が没した際の記録に、衣冠束帯の正装で木製座棺に収められ、さらに石棺に収められ、木棺と石棺の間に石灰と木炭を詰め込み防腐処理を施して埋葬された
二代綱清を除く藩主墓は「亀趺(きふ)円頭」と呼ばれる石台が使われています
各藩主の墓前には廟門・霊廟・回廊が築かれていたが、明治以降に老朽化のために撤去され、現在はない
8代斉稷は当初江戸の弘福寺に被葬され、遺髪のみが現在地に埋葬されていたが、大正12年(1923)に起こった関東大震災を機に、昭和5年(1930)に現在地へ改葬された
この時、正室・側室・子など藩主一族の墓も改葬された
現在は藩主墓も含め78基の墓碑がある。鳥取池田家の特徴として、正室の墓碑には実家の定紋が刻印されている
また、8代斉稷の養嗣子で夭折した斉衆の墓碑には、将軍家の定紋(三葉葵)が刻印されている
江戸時代の大名家の墓制を知る上で貴重な資料として、昭和56年(1981)に、国の史跡に指定された
同年に史跡指定された大名墓所としては、和歌山県海南市の長保寺和歌山藩主徳川家墓所・山口県萩市の東光寺萩藩主毛利家墓所・北海道松前の法幢寺松前藩主松前家墓所がある
これらは大名墓所として最初の史跡指定を受けている
和田三信は池田光仲の家老として光仲より絶大な信頼を得ていた。このため、光仲より「死んだ後は我が墓の隣に来よ」と言われた。三信の墓は池田家墓所の敷地脇に、光仲の墓と同じ方向を向いて建っている。
池田家墓所内には、初代鳥取藩主池田光仲から11代藩主池田慶栄の墓までを中心にしてL字型の参道沿いに歴代藩主の墓が並び、
また、各藩主の墓の周囲にはその藩主の正室たちの墓や鳥取藩の支藩である鹿奴藩(初代から8代まで)と若桜藩(初代から7代まで)の藩主の墓が並んでいる
6代藩主治道の娘・弥姫(いよひめ)は島津家に嫁ぎ島津斉彬を産んでいる
因幡鹿奴藩初代藩主池田仲澄の墓、因幡若桜藩初代藩主池田清定の墓がある
鳥取藩士上野忠親・厚恩院之墓
德川家・前田家・伊達家・毛利家・鍋島家・山内家・秋月家・牧野家・蜂須賀家・松平家・南部家・分知家・仲律家・三田家・和田家などの大名家と広く縁戚を結んでいる
鳥取池田藩の歴史を垣間見る事ができた














