鳥取藩 国・人づくり 池田墓所
国府町奥谷「鳥取藩主池田家墓所」
歴代藩主11代と夫人、分家の当主等による78基の墓碑と260基を超える灯籠が立ち並ぶ
往時は廟所、廟門が建ち並び、山門前にあった清源寺が墓所を管理していた
元禄6年(1693)に初代藩主の池田光仲が没し、因幡国法美郡奥谷村、因幡国一宮宇部神社の北隣に被葬されたことに始まる
光仲より11代慶栄までの墓がある。また、支藩である鹿奴藩(東館)、若桜藩(西館)藩主の墓も一部ここにある
なお、最後の藩主である12代慶徳の墓は多摩霊園にあったが、2003年に当時の池田家当主池田百合子の意向で鳥取市立川町の大雲院
境内へ移された
光仲の墓碑裏側には漢文で功績が刻まれている。以後の藩主は銅板に功績が刻まれ、墓碑の下に埋められている
墓所の造営と共に管理を行う施設として千岳庵が設けられた
ここは後に清源寺と改められ、池田家菩提寺興禅寺の末寺となった
なお、清源寺の寺号は2代藩主綱清の法号でもある。明治初期に廃寺となり、現在は芝生広場となっている
藩主の墓は亀趺円頭墓碑と呼ばれる。高さは各々約4.6メートルである
亀趺(きふ)とは亀の形をした「趺」すなわち台座のことで、中国では貴族以上の身分に許された墓碑・記念碑の台座である
この台座は諸大名の墓碑としては、ここ鳥取藩主池田家のものが唯一である
ただし、2代藩主の綱清の墓碑のみ、時の将軍であった徳川綱吉の「生類憐みの令」に配慮し、亀趺が無い
また、5代重寛の世嗣で夭折した治恕と、11代将軍家斉の十二男で8代斉稷の養嗣子となっていたが夭折した斉衆の墓碑も、同様に亀趺円頭墓碑となっている
光仲の墓碑裏側には漢文で功績が刻まれている。以後の藩主は銅板に功績が刻まれ、墓碑の下に埋められている











