摩尼山は 因幡天台 拠点なり

南面し、桁行三間梁間四間、入母屋造桟瓦葺で正面に千鳥破風を飾り、軒唐破風付の一間向拝を付す

正面一間を外陣とし、堂内後寄りに仏壇を据えて内陣を広くとる

向拝や内外陣境、仏壇廻りは龍や鳥獣、雲や波形の彫刻で高密度に飾り、時代的特徴を良く示す

縁起書によれば、天正9年(1581)羽柴秀吉が鳥取城渇殺に伴い魔尼山を焼き討ちし、戦火で荒廃した境内を元和3年(1617)池田光政が再興したとする

2010年の発掘調査では上層整地土最下層から15~16世紀の備前焼や青磁香炉などが出土している

摩尼山は久松山から距離は近く、因幡国天台宗の拠点であった

阿部恭庵「因幡志」は「秀吉公這回寺を焼払い玉ひしは今の摩尼寺にはあらず、奥の院の谷にありしを焼き討ちせられたるにて後に今の境内再興したるなり」と記している

秀吉が焼き討ちした摩尼寺は山頂に近い「奥の院」にあったとみている

2013年より山麓の境内構造物の調査に移行いたところ、前住職が病気と高齢を理由に引退を宣言したため調査は中断された

2014年より大雲院住職の兼務寺となっている

本堂・山門・庫裏・善光寺如来堂・三祖堂・閻魔堂・仁王門の調査を終えている

寺は無住になってしまったが、傷みが激しく早急の保全対策を講じる必要があり、登録文化財・登録記念物に向けての活動に着手する必要がある

この素晴らしい歴史と文化が後世に遺されることを切に願いたい