古刹魔尼寺 昔の光り 今何処
天台宗安楽律法流の寺
山号は喜見山(きけんざん)
古来より信仰の対象として崇められてきた摩尼山の山頂付近に開創された古刹であり、山頂の立岩は帝釈天降臨の霊地とされている
寺に伝わる『摩尼寺帝釈天王縁起』(弘化3年・1846年筆写)によれば、平安時代の初め頃、高草郡の産見(うぶみ)長者が喜見山(摩尼山)に登ると、立岩に帝釈天が降臨し、
「今よりこの峰に鎮座して衆生を救い、なかんずく五障の身である女人を済度しよう」と告げた
長者はこの地に精舎を建て、それを承和年間(834年頃)、円仁(慈覚大師)が再興したのが摩尼寺の起こりであるという
寺はその後中腹に遷移、さらに豊臣秀吉の焼き討ちに遭い荒廃していた寺を、江戸時代初期に池田光仲・光政によって、鳥取城の鬼門にあたる現在の山裾に再建されたものである
帝釈天降臨伝説や継子落しの滝の伝説は、地形や古い地名から考察すると、元は山筋を隔てた円護寺方面に纏わる伝説であったのを、
江戸期から第二次世界大戦前にかけて隆盛を極めた摩尼寺の伝説として伝えられるようになったものとする説が存在する
麓から仁王門を経て本堂まで303段の石段が大正元年(1912)に敷かれた
石段脇には石塔が列していたが、昭和18年鳥取大震災で倒壊した
また境内から帝釈天降臨伝説の立岩(鐘楼・三祖堂跡)、奥の院(洞穴)、賽の河原(楼門跡)へ至る山道が整備されている現在、奥の院の寺跡が調査研究されている
現在、奥の院の寺跡が調査研究されている











