駟馳山 東大谷 西岩戸

名馬生月の生誕地

宇治川の戦い(、平安時代末期の寿永3年(1184年)1月に源義仲と鎌倉の源頼朝から派遣された範頼、義経とで戦われた合戦。治承・寿永の乱の戦いの一つ)で先陣争いをした佐々木高綱の愛馬・生月(いけづき)の産地といわれています

また石畳道には蹄の跡とされるへこみがあり、案内板が設置されています

(ただ石畳は1811年整備なので年代にズレがあり、蹄の跡がついた石畳を遺して整備時に使用したのかどうかは不明です)

駟馳山峠の石畳道

江戸時代の交通路だった駟馳山峠は優な坂道の上、赤土だったので雨の日にはとても滑りやすく、通行人はとても困っていたところ、

1811年(文化8年)に備前国邑久郡上山田(岡山県)の多十郎さんという男性がやってきた際にその様子を見て「民衆の難儀を救うことは仏祖報恩の道」と考え、

大谷、平野、細川の庄屋や鳥取藩に工事用具の貸下げの許可を取り石畳の整備を行い1812年(文化9年)に完成したと考えられています

また、石畳を登り切った平地には茶屋があり、旅人の休憩所となっていたそうです。多十郎さんのお墓は小畑1号墳下の旧道にあります

この石畳道は改良工事により一部失われていますが、幅約5mの道の中央部幅約2m、長さ152mの石畳が遺存されていることが平成3年に確認されました

2017年には「山陰道の石畳―駟馳山峠、蒲生峠」の一部として、土木学会選奨土木遺産に選ばれ、さらに1997年(平成9年)2月28日には石畳道が県の史跡に指定されました

駟馳山東側にある弥長神社は、御祭神:足仲彦神(たらしなかつひこのみこと仲哀天皇)でご利益は出世運、仕事運、縁結びなどとされています

羽柴秀吉の鳥取侵攻の際に焼失しましたが江戸時代に再建されました

駟馳山ではイノシシが出没することがあり、登り階段がある神社にも出没する恐れがあり鉄柵が設けられていますので閉め忘れには気を付けてください