大権現 アゲハ蝶幕 平家ゆかり?

永禄11年(1567)、毛利家が尼子家を倒し九州から畿内の西に領土を拡大していた頃です。尾張国(現在の愛知県西部)の織田信長が足利義昭を奉じ上洛しました

久松中坂大権現

足利義昭は室町幕府15代将軍に就任し、将軍を擁立していた織田信長は畿内を勢力下に置きます。その後、東海から畿内地方を支配下に置くと中国地方侵攻に着手します

平氏のアゲハ蝶紋

織田信長は家臣の羽柴秀吉に播磨国、更に因幡国(現在の鳥取県)への侵攻を命じます

天正9年(1581)、羽柴秀吉は因幡国の攻略を開始します。鳥取城主であった山名豊国は毛利家に属していました

山名豊国は鳥取城に籠城し、家臣達も徹底抗戦を主張していました。ところが籠城に賛同していたはずの山名豊国は単身で城を抜け出すと、羽柴秀吉に降伏しました

福田大兄85歳

鳥取城は城主が居なくなった為、毛利家は牛尾元貞を派遣します

海外にもアルプスなど10回遠征されています

しかし牛尾元貞が負傷し指揮が出来なくなりました。そこで吉川一門であった吉川経家を鳥取城主として派遣します

この時、経家は相当の覚悟を持って鳥取城に赴いており、自らの首桶まで用意して参陣したとされています

日本列島は北海道から屋久島まで登られています

2月、吉川経家は鳥取城に入城とすぐさま防衛線の構築に取り掛かり、籠城の準備を進めました

学生時代は京都で過ごされ、帰郷されて社会の先生をされていました

ところが羽柴秀吉は若狭国の商人に命じて鳥取の米を買い占めさせます

高値で買い占めを命じていた為、鳥取城の城兵が備蓄米まで売り払ったので鳥取城内の備蓄は一月あるかどうかでした

5合目で休憩している時、クマ装備をされた男性に話を伺いました

久松山にもクマがおり、鈴・クマ除けスプレー・皮手袋・防御用ナイフを装備されていました