末裔に 円楽師匠 星の王子

鳥取城 巻石垣跡

石垣の崩落を防ぐことを目的に、江戸時代の終わり頃に築き足 されたものです

同様の目的で築き足された石垣は国内各地の城跡で確認されていますが、いずれ も角を持った石垣です

しかし、鳥取城跡のように、角を持たない球面の石垣は、確認事例がなく、 全国唯一の大変珍しいものです

 天球丸

天球丸とは、鳥取城の山麓部分の最高所(標高51m)に所在する敷地の名称で す

この名称は、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦後に城主となった池田長吉の姉・天球院の居所があったという伝承に因ちなみます

従って、高い所に球面の石垣があったため、天球丸という名称が付いたものではありません

経家の三男である吉川家好は後に鳥取藩主の池田家の家臣となり、家好の子孫には五代目三遊亭円楽(本名:吉河寛海)がいる

圓楽が鳥取を訪れた際に地元の図書館長が教えてくれたところによると、藩翰譜に圓楽の曽祖父にあたる人物が安政7年(1860)に切腹したとある

その息子(圓楽の祖父)・寛雅は、当時7歳で父の自死に立会い、「侍というものはかくも悲惨なものか、もう厭だ」と思いつめて武士を辞め、徳川家所縁の増上寺に入り、僧侶となったという

明治時代に入って寛雅は苗字を「吉川」から「吉河(よしかわ)」に改めた