兵糧尽き 餓死者が続出 地獄図絵

兵糧は尽き、2ヶ月目には城内の家畜や植物も食べ尽くし、3ヶ月目には守城兵の餓死者が続出し始める

城内は「餓死した人の肉を切り食い合った。子は親を食し、弟は兄を食した」という地獄絵図となった

 8月1日、信長は秀吉に送った黒印状で餓死は「天罰」と記述している

改修中の仁風閣

それでも4ヶ月の籠城に耐えたが、10月、経家は森下道誉・中村春続と相談し、ここに至って城兵の助命を条件とし、降伏することとなった 

裏御門跡

秀吉は経家の奮戦を称え、責任を取って自害するのは森下道誉・中村春続だけでよく、経家は帰還させるとの意思を伝えた

しかし経家はそれを拒否し、責任を取って自害するとの意志を変えなかった

困惑した秀吉は信長に確認をとり、信長は経家の自害を許可した

山下ノ丸図

10月25日早朝、経家は家臣と暇乞いの盃を交わし、具足櫃に腰を掛けて、脇差に紙を中巻きにすると、それを見守る家臣の座中に目をやって、大声で「うちうち稽古もできなかったから、無調法な切りようになろう」と言ってから切腹した

介錯は家臣の静間源兵衛が務めた

石切り場跡

そして家臣の福光小三郎、若鶴甚右ヱ門、坂口孫次郎らが殉死した

二ノ丸三階石垣

自害に先立って父や子供らに遺書を残し、自分の心情を記している(その遺言状は5通中3通が現存している)

また、自害の際には小姓の山県長茂が付き従っており、その自害の模様の詳細を記述して、後世に伝えている

三階櫓跡