三田城 三国境 要衝地

安土桃山時代以前の三田城については不明な点が多い

江戸時代以降は、領主となった九鬼家が無城主であったため、三田陣屋と称された

しかし、藩庁である三田陣屋は、それまでの旧三田城を取り込んで構築され、櫓や石垣などは築かれなかったものの、城郭に匹敵するほどの規模であった

三田は、摂津国、播磨国、丹波国を結ぶ要衝の場所で、有馬郡の中心として古くは栄えていた。郡内には有馬温泉があり、これが再三にわたり激しい戦力争いが行われるきっかけともなった

三田城の前身と言われている車瀬城がいつ頃築城されたのかははっきりしておらず、摂津有馬氏から九鬼氏に城主が替わり、やがて城下町がある三田城、もしくは三田陣屋に変化している

南北朝時代に赤松氏が有馬郡に侵入、その後赤松氏の一族であった有馬氏が有馬郡を領有していた

その頃は三田の中心地は中世三田城東野上城(山城)で赤松氏範が築城したと言われている。その後有馬義祐が有馬郡の守護になる

三田城の周辺には金心寺があり、この寺は当時大きな勢力を持っていたと言われており、この周辺の支配の拠点があった可能性を示唆している

川本幸民:幕末・明治維新期の医師および蘭学者。父は三田藩侍医侍医の川本周安

「日本化学の祖」とも言われる

「化学」という言葉を初めて用いたことでも知られている

化学技術の分野で大きな業績を残した