横山城 伽藍を壊し 増築す

観音寺は通称で、正式には伊富貴山観音護国寺

本尊の十一面観音像は行基作で、伊吹山(1377.1m)の霊木を刻んだものと伝えられています

胎内に、貞応3年(1224)の銘を記す伝教大師坐像は、鎌倉初期の作品で高さ約65cmの一木造。国の重要文化財に指定されています 

堂宇は正徳5年(1715)に再建の本堂(国の重要文化財)、薬師堂、鐘楼、山門などからなり、秀吉が鷹狩りで立ち寄った際に、寺の小僧をしていた石田三成を「三碗(さんわん)の才」で見出したことで名高い寺です

伊吹山護国寺は、仁寿年間(851年から853年)に三修沙門によって開墓され、元慶2年(878年)定額寺に列せられた名刹です

鎌倉から室町にかけては、時の領主であった
地頭佐々木大原氏によって手厚い庇護を受け、
戦国時には、浅井亮政・久政・長政からも
多くの寺領を安堵されています

羽柴秀吉は寺領を安堵するとともに、長浜城主時代にたびたび立ち寄り、天正4年には観音寺に茶屋を申付けています

その頃小僧をしていた石田三成が鷹狩りの際に訪れた秀吉に、一杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、

三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を差し出し、その才能を認められ、出世の糸口を作ったという話が伝えられています

江戸時代になっても諸役を免ぜられ、観音寺村という寺院名が村名となり、彦根藩(井伊氏)の所領として幕末に至ります

寺坊は、盛時には二十三坊あったとされていますが、現在は本坊、玉泉院の二坊を残すのみ

芭蕉「奥の細道」紀行文