難解な 石寸山口 語源は川

石寸(いわれ)山口神社

阿倍山丘陵の北の端に位置し、社殿の前に薦池と呼ばれる小さなため池がある

『延喜式神名帳』にある「石寸山口神社(大和国・十市郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)の論社

創建年代は不詳。もともとは、現在より少し南のコモ山(磐余山)に鎮座したとされる。現社地への遷座の時期は不明

御祭神は大山祇神

磐余の大地を守護する山の神・水の神として奉斎されたという

近辺は、初代神武天皇の東遷における、長髄彦が決戦した故地だとも伝わる

奈良時代の天平2年(730年)、『大倭国大税帳』に石村山ロ神戸とある

平安時代の大同元年(806年)、『新抄格勅符抄』に石村神二戸とあり、『日本三代実録』貞観元年(859年)に正五位下に進んだ

大和国の式内社で山口の社名を有する14の神社の一つとして崇敬された

神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「石村山口社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる

大和六所山口神社の一つとして崇敬された

大和志には双槻神社(なみつきじんじゃ)と呼ばれていたとも記載されている。木材業界繁栄の守護神として尊崇されたという

「和州五郡神社神名帳大略註解」によると当社は石寸川(現米川)の上流部にあって、多武峯の西方にあたる所とされているが、その位置は特定できない
『大和志』は当社を式社としている。