若櫻 大彦命 御祭神
土舞台、安部山から下って来た
向つて右が若桜神社本殿で左が合祀の高屋安倍神社(式内社)である
履中天皇が皇妃と磐余市磯池で遊ばれていた時、時ならぬ桜の花が杯に散り、物部長真膽連に花を探させたところ掖上の室山で、桜を見つけ、献上した
これにより、宮号を磐余稚桜宮とあらため、稚桜部造と稚桜部臣が置かれたという
神社の西側と東側を字堂の前、北側を字堂浦というから、神宮寺があつたことがうかがえる
祭神は伊波我牟都加利命 の後裔で若桜朝臣の祖伊波我加利命 。『大和志』には「在桜井谷邑 今称白山権現」とあり『延喜式』神名帳城上郡の若桜神社に比定されるが、大字池ノ内(旧安部村)の稚桜神社とする説もある
本殿内に大正(1912-26)ごろまで当社東の小祠として祀られていた神武天皇を祭神とする多神社を合祀している。境内の東と西に、小字堂の前、北に堂の浦の地名があり、かって神宮寺があったことを思わせる
鎮座地は前方後円墳の後円部丘上南斜面で、周囲の南と西に環濠を思わせる凹部をめぐらしている
若桜神社は若桜部朝臣や阿部朝臣の祖神といわれる伊波我加利命(いわがかりのみこと)を祭神とし、『大和志』には「在桜井谷邑 今称白山権現」とあり『延喜式』神名帳城上郡の若桜神社に比定されますが、大字池ノ内の稚桜神社とする説もあります
また高屋安倍神社は『延喜式』神名帳に登載されている名神大社で、祭神は屋主彦太思心命(やぬしひこふとしたまのみこと)・大彦命(おおひこのみこと)・産屋主思神(うぶやぬしおもひのかみ)の三座で、名神大社として崇敬され天慶三年(940年)頃までの記録はあるようですが、その後、歴史上消息を絶っています
又、この地を履中天皇の磐余稚桜宮跡に充てる説もあり、書記に履中天皇が皇后と磐余の市磯池(いちしのいけ)で遊宴中に、桜の花が盃に落ちた事を天皇は珍しい事と喜ばれ、この桜のあった御所の掖上の桜を清水湧き出る泉のそばに植えられ、宮の名前も磐余稚櫻宮にされたといい、桜井という名はここからきているといわれています
この井戸といわれるものは、当神社のすぐ近くにありますが近年、若櫻神社にも復元されています











