春日社は 太子少年期 過ごされし
上之宮遺跡の南方に鎮座する春日神社の周辺は、かつて古瓦が出土したことが伝えられており、古代寺院が存在したと推定されます
その後身寺院にあたるであろう上宮寺には、後鳥羽院の宸筆の額が存在したことが『和州旧跡幽考』に記されています
上之宮遺跡は、明日香村の橘寺などの古代寺院や飛鳥の宮跡、斑鳩町の法隆寺や斑鳩宮、これらを結びつける太子道などとともに、廐戸皇子(聖徳太子)に関連する重要な歴史文化資源の一つとして挙げられています
上之宮春日神社
聖徳太子(厩戸皇子)が幼少期に過ごしたとされる「上宮(かみつみや)」の有力候補地の一つ
現在は集落の鎮守として静かにたたずんでいます
春日神社、聖徳太子に深く関わる「上宮寺(じょうぐうじ)跡」に隣接しており、歴史の重層を感じさせる貴重な場所
国指定「石造宝塔」
春日神社となる前は、地主神である「磐船大明神(いわふねだいみょうじん)」と呼ばれ、饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀っていたと伝えられています。これは大和の地が持つ、古い信仰の形です
その後、奈良の春日大社から春日四神(かすがししん)を招き、合祀して「春日神社」となりました
聖徳太子が飢えた旅人を見て詠んだとされる有名な歌
家にあらば 妹が手まかむ 草枕
旅に臥やせる この旅人あはれ
春日大社は、奈良時代に藤原氏(当時の氏族は中臣氏)の氏神として創建されました。天児屋根命と比売神は藤原氏の祖神であり、武甕槌命と経津主命は藤原氏の守護神とされています。平城京(奈良)鎮護のために、これらの強力な神々が招かれました
この神社の南側にある畑地一帯は、聖徳太子ゆかりの寺院「上宮寺(じょうぐうじ)の跡」と伝えられています
桜井市上之宮にある「上之宮遺跡」が発掘される以前は、この神社の場所こそが聖徳太子の「上宮(かみつみや)」ではないかという説もありました
現在、有力説は上之宮遺跡に移りましたが、この周辺が古くから太子の宮殿の伝承地であったことを示しています
日本書紀』に興味深い記述に
「是の皇子、初め上宮に居しき。後に斑鳩に移りたまふ」
「父の天皇、愛みたまひて、宮の南の上殿に居らしめたまふ。故、その名を称えて、上宮厩戸豊聰耳太子と謂す」
これらの記述から、聖徳太子は幼少期から青年期にかけて、父・用明天皇の池辺双槻宮の南にある「上宮」に住んでいたことがわかります
太子信仰と古代史が静かに息づく空間
三輪山、ダンノダイラ(古代出雲ムラ)、巻向山を眺望
手前は鳥見山稜線











