上之宮 聖徳太子 所縁の地

桜井市上之宮遺跡

古墳時代から飛鳥時代にかけての複合遺跡

桜井市指定史跡に指定され、出土木簡は桜井市指定有形文化財に指定されている

遺跡全体を4つの時期に分けて考えることができ、3期以降は居館として整備されていたことが示されている。中央部に四面廂付の大型建築物の遺構があり、北側に長棟の脇殿を配し、東側と南側を柵列で囲み、それぞれに門が備えられている

西側は祭祀機能の付いた庭園になっており、北側の正面から三輪山が見える構図になっている。西側と北側には石溝が走っており、後に東側や南側にも溝が設けられたことが確認できる

庭園部分から木簡が出土している。鼈甲や木器、果実の種なども出土しており、貴人の邸宅跡と考えられている。ただし、園池遺構ではなく水源祭祀場の遺構とする説もある

「上之宮」の地名は聖徳太子が幼い時に過ごした宮殿・上宮にちなむという説があり、上之宮遺跡と聖徳太子との関連性を指摘する説もある。ただし『日本書記』などの史書類には、現存していない磐余池のほとりに用明天皇の磐余池辺雙槻宮、その南隣に息子の聖徳太子の上宮があったとされており、磐余池の所在地が確定しない限り肯定も否定も出来ないとされる。また、阿部氏など周辺地域を拠点に持つ豪族の邸宅である可能性もある

上之宮遺跡は、明日香村の橘寺などの古代寺院や飛鳥の宮跡、斑鳩町の法隆寺や斑鳩宮、これらを結びつける太子道などとともに、廐戸皇子(聖徳太子)に関連する重要な歴史文化資源の一つとして注目されている