能登のご縁 大彦命 等彌神社

佐藤高静宮司さんに見送られ等彌神社を後にしました

崇神天皇10年、第8代孝元天皇の第一子・大彦命は四道将軍として北陸道の鎮撫に命ぜられる

桜井吉野線にある奈良交通バス停・多武峰方向

それ以前に謀叛を興した異母兄弟の武埴安彦を平らげたのち各地を平定され、その後自らの子である武停川別命(たけぬなかわわけのみこと)・東海道将軍と会津で合流し11年かけて北陸を平定した

等彌神社・鳥見山方向

その後大彦の子孫は繁栄を極め、阿部、布勢、竹田、名張、若桜、広瀬、三宅、大戸、難波、宇多、松原、高橋、その他にも多数の祖神としている

桜井南小学校

武停川別命(たけぬなかわわけのみこと):大彦の御子で、崇神天皇10年四道将軍として東海道の鎮撫に命ぜられる

同じく北陸道を平定するために向かわれた大彦命と会津の地で合流し北陸の平定に助力した

その後東国を平定し、その国に居をかまえた

阿部氏の祖神としている

第9代開花天皇の孫・丹波道主命は、崇神天皇10年四道将軍として丹波の鎮撫に命ぜられ1年後に平定したことを報告した

垂仁天皇5年に皇后・狭穂姫命(さほひめのみこと)が兄の狭穂彦命(さほひこのみこと)の謀叛の責任として兄と共に討たれることを自ら望んだ際、天皇に自らの責任で減ってしまった後宮に丹波道主命の娘5人を入れることを助言した

その一人は後に皇后となり、景行天皇や倭姫命(天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮を創建したとされる)を産んでいる

この地・浅古(あさこ)地区は丹波道主命が丹波(あさご)朝来から連れてきた人々が住んだ村とのこと

※上記は、日本書記、神道辞典、神典、神道大辞典、吉備津彦神社由緒書を参考にしている