佐藤家は 藤原不比等を 祖と仰ぐ 

ルーツを辿り子孫に継ぐ

神霊は招く桃川

松阜神社(まつがおか)は、鯖江藩陣屋内で間部(まなべ)家の祖詮房(あきふさ)と初代鯖江藩主詮言(あきとき)を祀った受福堂を起源とし、明治16年(1883)に幕末期の老中として活躍した七代藩主詮勝(あきかつ)を祭神に加え、町民の要望で創建されました

江戸時代中期、能役者出身の詮房は、六・七代将軍のもとで老中格に出世し、政治を主導しましたしかし、八代将軍吉宗のときに所領は高崎藩(群馬県)から村上藩(新潟県)に移され、詮房が享保五年(1720)に亡くなると、間部家は鯖江への移封を命じられました

鯖江台地東端の当地は、天保年間(1830~1843)に武家地となって開発が進み、文久三年(1863)以降は詮勝の別邸「松阜御殿(まつがおかごてん)」が造営されて藩の要地となりました

しかし、明治維新を経て屋敷は取り払われ、神社の創建までは桑圓が広がりました
現在、かつての鯖江藩陣屋内(現在の屋形公園)に祀られていた福寿稲荷(もとは西鯖江村の鎮守)と秋葉神社(天保13年に詮勝が勧請)に加えて、旭町四丁目にあった天満神社が移築され、境内社となっています

松阜神社(まつがおか)は、越前鯖江藩第5代藩主・間部詮茂(あきとお、1739年~1786年)が、天明4年4月16日(1784)に鯖江藩陣屋内(現・鯖江市屋形町)に間部家の藩祖・間部詮房と初代鯖江藩主詮言を祀った受福堂を起源とする

はじめは、鯖江藩邸(鯖江藩陣屋)の中に受福堂と称して社宇を築き、天明年間の名作といわれる間部詮房とその奥方の尊像を越後村上から分譲されて祀られていた

明治4年(1871年)廃藩とともに、菩提寺の万慶寺に移されたが、明治15年(1882年)3月23日、鯖江町の存立がようやく認められたのを記念して、

文久三年(1863)以降、東小路(現・鯖江市旭町一丁目)の地に造営されたものの明治維新を経て屋敷は取り払われていた間部詮勝の別邸、松阜仙屈跡(松阜御殿)の跡地(現在地)に、明治16年(1883年)9月8日に、万慶寺からご霊屋を移して社殿とした

幕末期の老中として活躍した七代藩主詮勝を祭神に加え、相殿に大彦命を合祀し、そのほか、四社を合祀して松阜社とした

その後、大正3年3月19日、郷社となり、同年6月6日、県の許可を得て、松阜神社と改称