三木城の 句碑で読み解く 夫婦愛・・・幸師

もろもろに消え果つるこそ 嬉しけれ おくれ先立つ ならいなる世を・・・照子夫人

御神輿の前で集合写真

堀切があった場所

分かりやすく説明される長曽我部さん

鷹尾山

曹洞宗高源山「雲龍寺」

寺伝によれば957年(天徳2年)天台宗の僧良源によって創建されたという

 

その後、平安時代後期の保元年(1156 -1159)に兵火にあって荒廃したが、鎌倉時代後期に赤松氏によって復興され、1322年(元享2年)には後醍醐天皇により現在の山号に改められた

室町時代には別所の帰依を得た。1578年(天正6年)秀吉による兵火により焼失したが、秀吉から寺領を安堵されている

教えてもらったのにすっかり忘れてしまった(>_<)

別所長治夫妻の首を埋葬したと伝えられる首塚があり、毎年1月17日に法要が行われている

別所長治は当時の慣わしに従い、照子夫人と3歳になるわが子を刺殺し、その後切腹の場にのぞんだと伝わっている

自刃の際、住職に後を託し、愛用の金天目の湯呑みを贈りました。首実検の後、住職が長治夫妻の首を貰い受けて埋葬したと伝えられる首塚

右:別所長治公、左:照子夫人

※別所家霊廟は法界寺にあり、長治公が自刃したときその遺体を埋めたと伝わる。境内には長治公夫妻の霊牌、肖像画、木像がある

照子夫人「もろもろに消え果つるこそ 嬉しけれ おくれ先立つ ならいなる世を」