7500人 兵糧攻めで 開け渡す
三木城二の丸跡に建てられた歴史博物館
本丸、二の丸の東側には、秀吉軍との戦いのため築城された三木新城があり、現在は宅地化され、遺構は確認できない
南には、高台の鷹尾城と宮ノ上要害(砦)があり、三木城はこれらを合わせた本丸、二の丸、三木新城、鷹尾城、宮ノ上要害からなります
三木城は東西に400メートル、南北にも500メートルの規模を誇り、城内に7500人を収容していたと云われています
三木城の北には美嚢川が流れ、天然の堀となっており、東西には崖、南は山と谷が連なり、難攻不落の要塞となっていました
加えて、廻りには、淡河城、丹上山城、志方城、神吉城等の支城が点在して、さらに守りを固めており、一大要塞となっていた三木城
秀吉軍の軍師 竹中半兵衛は、難攻不落の要塞 三木城を直接攻撃することは困難であると考え、兵糧攻めの奇策を秀吉に提言しました
三木合戦の屏風図(複製)
天正6年3月から天正8年1月17日までの約2年に亘った別所長治と織田信長方の羽柴秀吉による三木合戦は、三木城兵糧攻め、三木の干殺しとも云われています
三木合戦は、のちに豊臣秀吉が高松城の戦いや鳥取城の戦いで展開する広範囲・長期包囲戦の先駆けともいえる事例ですので、戦国期の戦い方の転換点を学べる貴重な展示です
秀吉の三木の干殺し攻めの後、荒廃した町の復興のために鍛冶職人や大工を積極的に集めたようです。 その結果がまた軍需工場に繋がっていったようです
三木市の歴史が後期石器時代から現代までわかる、歴史好きにはたまらない資料館で、入場料・駐車場代は無料です
平井山秀吉本陣図
長曽我部さん、東京の別所さん、大分の川嶌さんにも入っていただきました











