半兵衛策 兵糧攻め 干殺し

かんかん井戸

三木城本丸跡に残る唯一の井戸で、口径三・六メートル、深さ約二十五メートルを測る大きなものです。石を投げ込むと「カンカン」と音がすることから「かんかん井戸」とも呼ばれています

城内にある雲龍寺には、この井戸から出土したと伝えられる、城主別所氏愛用の鐙(あぶみ)が大切に保存されています

籠城兵3000人~7000人の水を供給した

三木城を有名にした三木合戦
天正6年(1578年)、時の三木城主・別所長治は、織田信長に対して毛利氏攻めの先鋒を務めると約していましたが、突如反故(ほご)にして三木城に籠城

この時、羽柴秀吉は城下町を焼き払い、病床の軍師・竹中半兵衛の献策で徹底した兵糧攻めを行ないます

これが時代劇、大河ドラマなどにも登場する「三木の干殺し」(みきのひごろし)
 

その結果、城主・別所長治一族の切腹によって城兵の命を助ける和睦で開城となっています

藩政時代には姫路城の支城となるが、元和の一国一城令で廃城

本丸跡は城跡公園(上の丸公園)となり、上の丸稲荷神社が鎮座するほか、別所長治公像も立っています

上の丸稲荷神社は、別所長治が伏見稲荷の分霊を勧請して創建したもので、三木合戦の後に羽柴秀吉が再興

江戸時代以降は三木金物産業の従事者たちの尊崇を集めました(本丸跡に三木市立金物資料館が建っています)

みき歴史資料館(旧三木市立図書館)と堀光美術館が建つ場所が西の丸(二の丸)跡です

ちなみに三木合戦は、唯一竹中半兵衛と黒田官兵衛の軍師二兵衛(両兵衛)が顔を揃えた合戦でしたが、竹中半兵衛は陣中で病没しています