三木合戦 別所長治 約束反故
稲荷神社
上の丸稲荷神社は、別所長治が伏見稲荷の分霊を勧請して創建したもので、三木合戦の後に羽柴秀吉が再興した
目に留まった石柱
ナメラアーケード商店街途中稲荷神社鳥居横にある本町滑原遺跡
滑原(なめら)商店街の一角にある石列で、三木合戦後の時代はこの付近が羽柴秀吉や池田輝政時代の家臣屋敷の町割り機構(今で言う官民境界)として機能したと思われる遺跡
御神木
江戸時代以降は三木金物産業の従事者たちの尊崇を集めました
別所治定奮戦図絵馬
三木城は、小寺氏の御着城(ごちゃくじょう/現・兵庫県姫路市御国野町御着)、三木氏の英賀城(あがじょう/現・兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町)と並び「播磨三大城」と称された要衝
三木城を有名にした三木合戦
天正6年(1578年)、時の三木城主・別所長治は、織田信長に対して毛利氏攻めの先鋒を務めると約していましたが、突如反故(ほご)にして三木城に籠城
播磨三木城復元図











