創立は 秀吉追善 豊光寺 

相国寺石柱

長徳院:足利5代将軍義量の菩提寺で普段は非公開となっている

方丈の水墨障壁画は岸連山(岸徳)の作

街中の喧騒がウソの様に静かなところ

岸連山筆の障壁画「水辺虎図」、「波涛鷲図」が有名

相国寺第九十二世西笑承兌(さいしょうしょうたい)和尚が慶長三年(1598)八月、豊臣秀吉逝去の後、その追善のため豊光寺を創立しました

豊光寺の山門は平唐門で、様式上桃山期か江戸初期のものです。柱が側面の蟇股まで延びており、平安時代からの古い伝統を伝えています

玄関に掲げられた鉄斎による「善隣」と書かれた額は、人はみな平等であると諭された禅師の心を表現してい入る

徳川家康は豊光寺を訪問していますが、同年十二月二十七日、西笑和尚示寂。豊光寺は以後、漸次頽廃に及び、天明八年(1788)の大火で焼失し、廃絶の運命にありました

土壁がきれい

窯浴

現存する我が国最古の法堂

天井の「蟠龍図」は狩野光信作で、本尊横辺りの特定の場所で手を打つと反響することから「鳴き龍」として知られている