謙信が 詠みし能州 絶景地 

「七尾ふるさと讃歌1番」

国の史跡 七尾城

五大山城 百名城

七つの尾根に築かれし

謙信詠みし 能州の景

 

本丸への石段

遊佐屋敷跡:本丸のすぐ下の曲輪が重臣であった遊佐氏の屋敷跡と伝えられています

遊佐氏は南北朝時代に畠山氏が奥州探題となって赴任した頃からその重臣となり、一族はそれぞれ出羽国、河内国、能登国、越中国にわかれ、能登国では遊佐秀頼(ゆさひでより)、遊佐続光(ゆさつぐみつ)が当主を傀儡化して、専横のかぎりを尽くしたとされます

本丸下大石垣

標高約300mの「城山」全域を要塞化したその規模は、日本国内でも最大級で「日本五大山城」と呼ばれる

七尾城主・畠山家の守護神

上杉謙信でさえ、この城を武力で攻め落とすことはできませんでした

最終的には、城内の家臣による内通(謀反)によってようやく落城に至ったと伝えられるほど、鉄壁の守りを誇った城

京都の文化人が「天宮(天帝の住む宮殿)」と絶賛したその眺望は、今もなお本丸跡から七尾湾を一望できる絶景として知られています

七尾城主末裔・畠山一清三十余名登山記念碑

鳥居の笠木・島木・貫が落下したまま

地震後は本丸からも断ち入り禁止