国宝の 千手観音 秘仏なり

天正13年(1585)には羽柴秀吉による紀州征伐にあって本堂を残して諸堂が焼失し、二代目の梵鐘を奪われている

天正16年(1588)の文書によれば、当時は本堂と鎮守社が残るのみであったという

明暦元年(1655)に紀州藩主徳川頼宣の援助で本堂の屋根葺き替え等の修理が行われ、仁王門、三重塔などの諸堂塔は近世を通じて徐々に整備されていった

創建時は法相宗だったが後に真言宗となり、承応元年(1652)に天台宗に改宗している

昭和53年(1978)以降、数次にわたって発掘調査が行われ、奈良時代の金堂、塔、中門、講堂、回廊の跡が検出された

中門の左右から伸びる回廊は敷地を長方形に囲み、講堂の左右に達していた

回廊で囲まれた伽藍中心部には、東に塔、西に金堂が向き合って位置する筑前国観世音寺型の伽藍であった

現存する仁王門、三重塔、本堂は、それぞれ奈良時代の中門、塔、講堂の跡に建てられている

なお、このような伽藍配置が整ったのは8世紀半ば頃のことで、創建当初(8世紀初頭)は、講堂の位置に寺の中心となる仏堂があり、塔、金堂等は後から整備されたものと推定されている

道成寺本堂には南向き本尊と北向き本尊の2体の千手観音像を安置していた

木造千手観音立像 1躯・木造菩薩立像 2躯(国宝伝月光・月光菩薩)

重要文化財・木造千手観音立像及び木心乾漆千手観音立像

常念仏堂