御坊市に 六王子跡 遺りけり
愛徳山王子跡
熊野三山への参詣道「紀伊路」に設けられた熊野九十九王子社の一つ
御坊市藤田町吉田の八幡山の北麓に位置する
建暦2年(1212)に後鳥羽院庁が紀伊国在庁官人等に宛てた『後鳥羽院庁下文』によると、紀伊国日高郡にある薗宝郷は、地主永命なる人物の寄進にもとづき熊野山新宮領と認定されている
薗宝郷の北限境界が愛徳山王子が所在していた周辺と考えられる
明治時代に八幡神社(御坊市湯川町吉田)に合祀された
『後鳥羽院熊野御幸記(明月記)』(建仁元年(1201)10月10日)において、連同持(善童子)王子の次に「・・次又愛徳山・・」とこの王子社の名が初めて記されており、鎌倉時代初期には所在していたことがわかる
『明月記』(元久2年(1205)正月1日)に「・・盛範愛徳山王子修造功・・」と熊野別当家の一族盛範が愛徳山王子を修造した功によって賞せられた記事があり、仁和寺蔵の『熊野縁起』(嘉暦元年(1326))には、准五体王子に位置付けられるなど鎌倉時代を通してかなり重要な王子であった
近世の記録を見ると、享保十年(1725)江川組社方書上帳に「愛徳山王子一社、是は往古より有来り候処及大破、慶安四年(1651)御尋被為遊其節境内三十間四方に被仰付、社鳥居御制札共御立被遊候其後御制札等朽損申候」とある
さらに安永(1772~1780)ごろの吉田村書上にも同文で末段に「社鳥居大破におよび有之候」と附記している
御坊市には熊野九十九王子のうち、善童子(ぜんどうじ)王子、愛徳山王子、海士王子、岩内(いわうち)王子、塩屋王子、上野王子があります
愛徳山王子は吉田八幡神社のある八幡山の北の麓にあり、海士王子は南の麓にあります
八幡山城:吉田金比羅丸の居城。吉田氏は土生城主逸見氏や、日高川筋で50ヶ村を領していた山崎城主川上則秋と姻戚関係を結んで、共に南朝方として戦ったが、北朝方であった牟婁郡芳養荘を本拠とする湯河氏が日高平野に進攻してきたため、吉田氏らは没落したと思われる
雲生寺跡:天台宗の寺院。山号は龍宮山
吉田八幡神社の神宮寺。旧日高郡矢田荘吉田村にあり、創建時期は不詳だが、神社が造営された時に建立されたものと思われる











