地震の記憶「東日本大震災から15年」
東日本大震災から今日で15年経ちました。あの日、小生は運送会社のトラックに乗り込み四国道を松山に向け走行していました。夕方、松山の営業所に着いて初めて大地震の発生を知りました。ニュースの映像を見て映画を見ているようで現実とは思えませんでした


①地震の記憶は、幼少の頃(5月頃)囲炉裏端で朝食中に大きな揺れがあり、父が味噌汁の入った鍋をひっくり返して火を消した
②中1の時(昭和39年6月新潟地震)授業中に揺れがあり、先生の指示で机の下に潜り込みました。海水が20mほど沖合に引き、押し寄せる津波も経験しました。祖父が新潟に住む3女の支援物資として米を担いで出かけました

叔母は涙が止まらなかったと話していた
③福井県担当(昭和58年5月日本海中部地震31歳)丸岡町の販売店を訪ね駅に向かう車道で揺れを体感しました
④阪神大震災(43歳)、2階で家族5人就寝中、大きな揺れで家が壊れるかと思い一瞬子供に覆い被さった
⑤能登半島地震(71歳)では帰省する予定でしたが、年末大雪となり中止。もし帰省していたらと思うだけでぞっとします。それまでに帰省中に前兆となる揺れを数回体験しましたが、こんなに大きな地殻変動が起きるとは思ってもいませんでした


※南志見の皆さんへの思い・・・南志見ではもう住めないと金沢周辺や、親族を頼って県外へ移住した人たち、行く当てがなく残った人たち、荒れ果てても生まれ故郷に執着するひとたち、そして小生のように生まれ育ち故郷を離れた人たち。南志見という同じ故郷での「つながり」が復興への手がかりになる。南志見に残る人たちは、先祖が生きてきた暮らしと歴史、文化を後世に継ぐ役割を担ってくれています。生きるには、生活の糧と希望が必要です。自立するための公助・共助が不可欠です。
小生は故郷に支えられてきた。苦しいときには「負けてたまるか」と奮い立たせてくれた。バックヤードであり、バックボーンであり常に座右に「南志見」があった。
微力だけれど、恩返しがしたい、支えになりたいと思っています。
そんな時、山仲間(山耀会)たちが今年の遠征は能登にしましょうと声をかけてくれ、5月には南志見へボランティアとしてお伺いすることになった。感謝m(__)m