永慶寺 転封に際し 移転され

黄檗宗・龍華山「永慶寺」

大和郡山藩主菩提寺

享保9年(1724年)、甲斐国が幕府の直轄領となり、柳沢家は大和郡山へ転封されました

これにより、永慶寺も現在地に移転することとなりました

ただし、寺領の安堵は得られず、甲府の永慶寺は廃寺となります

吉保夫妻の遺骨は、甲州市の恵林寺へ改葬されました

柳沢吉保とその正室・曽雌定子の坐像が安置されています。これらの像は、木造で彩色が施され、目には玉眼が入れられた精巧な造りとなっており、江戸時代の仏師・大下浄慶(常慶)およびその子である次郎右衛門・杢右衛門によって制作されました

吉保像は黒袍に束帯姿、冠をかぶり笏を持つ格式高い姿で表現され、太刀を帯びています

方、夫人像は五衣・紅袴を身にまとい、右手に横扇を携え、鏡を備えています。両像とも、永慶寺の香厳殿という仏間に安置されています

恵林寺にも吉保像が伝わっており、永慶寺像と様式や大きさが一致していることから、柳沢家の転封に伴い、同一の仏師が一対で製作したと考えられています

永慶寺は、柳沢吉保の信仰と文化への思いが形となって残る貴重な寺院であり、その歴史は甲府から奈良へと時代を超えて継承されてきました

仏像や太刀といった文化財に込められた願い、寺院の移転に込められた歴史の流れを今に伝える場所となっています