頼山陽 天下取りは 小牧にあり
17:38分、小牧山の日の入り
天正12年(1584)、葉梨秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、家康がいち早く小牧山に目を付けて本陣を置き、遅れてきた秀吉を悔しがらせたといわれる
この時、信長の築いた城跡の土塁、空堀などに大規模な改修が施され、「城」とみなせるほど強固な陣地が築かれた
秀吉の大軍も容易に手が出せず、焦った池田恒興や森長可が三河国への無謀な長駆攻撃を敢行し、長久手方面へ突出して壊滅する事態となった
現在も発掘調査が続けられています
急造「小牧山城」は、徳川勝利の一翼を担ったことになる
この一戦は、頼山陽により「家康公の天下を取るは大坂にあらずして関ヶ原にあり、関ケ原にあらずして小牧にあり」と称揚された
家康「御勝利御開運の御陣跡」となり、一般の入山は禁止された
奮地を敬いこの山の下に舘舎を営み、小牧御殿と名づけられた
小牧山碑も建てられたが、今は残っていない
現在残っている曲輪、井戸跡が御殿敷地内にあったと思われる
山と城跡は、江戸時代を通じて尾張徳川家の領地として保護を受け、管理された
元和9年(1623)には、尾張徳川家が上街道を整備する為、山の南側にあった町を東に移転させた
中山道木曾路の宿驛(うまや)として賑わいを見せた。小牧村の中の小牧驛(うまや)で、現在の小牧駅から真西に数100mの場所である











