清州越え 花の清須は 野となろう

戦国時代、清洲城は守護代の織田氏(織田大和守家)の居城であったが、分家出身の織田信長がこれを奪い居城とした

しかし信長が岐阜城、次いで安土城と拠点を移してからは清洲城の存在価値は極度に低下していく

天正10年(1582年)6月、信長が本能寺の変で横死すると、信長の後継者を合議する会議、いわゆる清洲会議が清洲城で開かれ、このとき豊臣秀吉によって信長の後継者は信長の嫡孫・三法師(のちの織田秀信)と決められ、清洲城主には信長の次男・織田信雄が据え置かれた

織田信長の跡継ぎを決定する「清洲会議」が開かれた城として知られています

現在は当時を想像して設計したという模擬天守が残されており、朱塗りの橋とともに華やかな外観が人気です

模擬天守は鉄筋コンクリート造・望楼型3重4階で、清洲地域文化広場に建てられました

清洲城については史料などがほとんど残されていないため、デザインは想像の産物

屋根の金の鯱に赤い欄干が美しいですよ。天守の手前にある美しい庭も必見です

内部はミュージアムになっており、古代から近代までの清洲の歴史を学べるほか、武具などが展示されています

4階からは濃尾平野が一望できる絶景が拝めます

清洲越し後の清洲は寂れていき、「おもいがけない名古屋ができて、花の清須は野となろう」と言われるようになりました

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