ヤマトタケル 手植えの榊 御神木
旧鎌倉街道
源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、支配力強化のために鎌倉を中心に東国の各地域を結ぶ新たな道路整備に力を注ぎ、次々と放射状に延びる道路網が建設されました
萱津神社
言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていたが、海(当時、この地が海岸線であった)からとれた塩も供えるようになったという
やがて、野菜と塩を龜に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったという
日本武尊が東征の途中で参拝したとする伝承がある
この際に村人が漬物を献上したところ、日本武尊は「藪二神物」(やぶにこうのもの)と称えた「薮に神物」と言われた
ここから、漬物のことを香の物と呼んだ
その後、伊吹山で負傷した日本武尊を妻の宮簀媛が知り、急いで駆けつけたが既に日本武尊が伊勢に帰った後で、媛は逢えなかったことから、「阿波手の杜」と呼ばれるようになった
熱田神宮に日本武尊が祀られるようになって以来、元旦祭と新嘗祭などについては香の物を必ず献じるようになったとされる
かつての神木は「連理の榊」と呼ばれる
2本の雌雄の榊が途中で繋がったものであり、枯れてしまった後は社の中に祀られているが、この御神木の葉で祈ると願いは成就し良縁に恵まれるといわれる
サカキ巨樹











