本堂は 伏見城から 譲り受け

真宗大谷派無礙智山「長浜別院大通寺」

長浜城が廃城となると道場は城跡に移転して湖北の中心道場・総坊(そうぼう)となった

このころは長浜御堂と呼ばれていた

慶長7年(1602)に前本願寺派法主教如は家康から京都六条烏丸の地に寺地の寄進を受けて東本願寺を建立すると、教如を支持する僧俗からの支援を受けて教如を開山とし、無礙智山大通寺と称する寺院に改編されて新たに発足した

 

慶長11年(1606)に内藤信成を城主とする長浜藩が成立すると、長浜城の修築に伴って当寺は現在地に移転した

当初は、本山の東本願寺から僧が派遣されたり湖北三郡の有力末寺が輪番に当たっていた

真宗大谷派13世の宣如によって寛永16年(1639)に三男の霊瑞院宣如澄が当寺の住持に任命された

そして、彦根藩主井伊直孝の援助によって寺域が拡張された

オープン前でした

本山から伏見城の遺構という本堂や広間を譲られて寺観が整備された

こうして当寺は大谷派の別格別院とされた

円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する

境内の総会所がNHK大河ドラマ『豊臣兄弟』放送に合わせて開催される北近江豊臣博覧会の会場の一つとなる