熊野川 川面に映える 名城

新宮城の本来の大手道は二ノ丸北側の住宅街に塞がれ消滅しているが、県道42号線沿いに冠木門と登城路があり、そこから登ると途中で本来の大手道となり、松ノ丸に通じている

城は堅牢さを体感できるひとつの仕組みが虎口や城門だが、大手道が至る松ノ丸の城門跡は正面玄関らしく石垣にも堅牢さが宿る

石階段を登り松ノ丸虎口から入り、鐘ノ丸、本丸と見ると良い。なお、水ノ手への降り口は、松ノ丸の北側にある

最高所の本丸を中心に南西に鐘の丸、北東に松の丸、その下に二の丸を設け(現在の保育園)、北側には水の手を置き船着場を設け大規模な炭納屋が設けられ熊野川流域の備長炭を集積していた

新宮城の石垣に使用された石材は花崗班岩

花崗班岩は紀伊半島南部に分布する岩石

かつての城域は東西約324m南北約198mで、城門6、櫓門5、二層櫓4、単層櫓9とあり、本丸には大天守と小天守が築造されていた

ケーブル軌道跡

鐘ノ丸(二ノ丸)から千穂ケ峰

昭和27年(1952)、鐘ノ丸跡で旅館「二の丸」が開業する。この時、二の丸から本丸までを結ぶケーブルカーを設置、昭和55年(1980)まで運行していた

これにより、本丸南側の石垣とその形が改変されている。また、丹鶴山には丹鶴トンネルが掘られ、紀勢本線が貫通している。昭和55年から丹鶴城公園として城跡の整備が進められた。

平成15年(2003)、「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に登録されている。

紀伊新宮藩の最後の藩主、水野忠幹の長男である水野忠宜は、明治10年(1877)に生まれ成人して陸軍士官学校に入るも、八甲田山の雪中行軍で亡くなっている。忠宜の墓も墓所にある

地蔵堂