榮林寺 筒井氏家臣 菩提寺
名張旧町の中心である本町の初瀬街道に面して、榮林寺の山門が建つ
寺院が集められた通称「寺町」にほど近いが、表通りに位置するのは、榮林寺だけである
天正9年(1581)の天正伊賀の乱の際に、伊賀国の郷土・森田浄雲と戦って討ち死にした筒井順慶の家臣・菅田左衛門佐の弟が中興開山となった由緒のある寺院である
もと奈良県の上笠間へと越える峠にあったといわれるが、名張の鍛冶町へと移転。さらに江戸初・中期に本町へと移った
境内には、正面に300年近い歴史のある本堂を中心として、右手に庚申堂と芭蕉句碑、左手に観音堂・薬師堂と道標などが建っており、これらは名張の歴史を集約したものといえる
栄林寺が何時頃開創されたのかは判りませんが、当初は念仏堂と号し、現在の名張市黒田に位置する法然寺の末寺だったとされます
戦国時代の天正年間に発生した天正伊賀の乱の兵火により大きな被害を受け、再興した際に正式な寺院として開山し寺号を栄林寺に改め、一方、衰微した法然寺が末寺となっています
栄林寺の本尊である木造阿弥陀如来立像は慶長14年(1609)に休味(堺の住民)によって彫り込まれたもので像高110cm
寺宝である木造阿弥陀如来立像(栄林寺の末寺である法然寺の本尊)は平安時代後期に製作されたと推定されるもので像高70cm、一木造。両像とも名張市指定文化財に指定されています









