奥ノ谷 里山荒れて 熊爪あと

忍坂奥ノ谷

この辺りまで田畑だったのでしょう

滝谷登山口

こもりくの泊瀬の山青旗の忍坂の山は走出のよろしき山の出立のくはしき山ぞあたらしき山の荒れまく惜しも

渓谷の南の入口に青々と木々を茂らせて、まるで青旗のなびくようにこんもりと尾を引いている。ちょうど、人が谷の奥から走り出てきて、すっくとそこに立ったような、すばらしい山、・・・日ごろ親しい郷土の山への讃嘆を、人の姿態、しかも女人が思う人を待って走り出、出で立つ生活図を反映したかたちでたたえる心情も、じかにわかるような気がする

人が獲らなくなった柿

クマの姿はなかった

大伴皇女は欽明天皇と堅塩媛(蘇我稲目の娘)の皇女で古事記には大伴王と記されています

兄弟には推古天皇、用明天皇がいます

したがって大伴皇女は聖徳太子の叔母さんという事になります

この墳墓は平安時代に書かれた延喜式には「大伴皇女押坂内墓」とされ現在、宮内庁で管理されています 

三方山囲み」の南面する地勢に造られている単独墳で立地からみると終末期古墳の可能性があります

この古墳については実態が全くわからなかったのですが戦前の「磯城」という書物に数行だけですが大伴皇女墓は奥室を持つ古墳として伝承されているとの記事があり興味をそそられます