義勇隊 希望と夢見て 応募した

義勇隊の想ひ出「高橋部隊」

満州の広野トウモロコシ畑

1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)の敗戦までの8カ年の間に8万6,000人の青少年が送り出された

聖訓五箇絛

これは満洲開拓民送出事業総体の人員の3割を占めた

青少年義勇軍は高等小学校の成績上位・中位層が中心となった

自由応募が原則であったが、実態は当局から各都道府県への割り当て数が決められ、さらに道府県から各学校への割り当て数が決められていた

それに応じて各高等小学校の担当教師が卒業生に主体的に応募するように働きかけた

満13歳の父

父は学校で先生から話を聞き、親に内緒で印鑑を持ち出し捺印して応募した

親戚や村人から餞別を貰い、壮行会をしてもらったと話していた

その時に武運長久と記した署名日の丸が見つかった

61名の揮毫