僧円善 6万回の 誓いたて
鹿ケ瀬峠手前付近にすごい石垣があります
947年に天台宗の僧、円善上人が熊野参詣の途次、この峠で客死し、そこに後年、法華壇がたてられたという
日像上人:永仁元年(1293)、日蓮の遺命を果たすべく、京都での布教を決意する。まず日蓮の足跡を辿って佐渡にて法華経を布教した後、北陸・七尾に向かう。その船中での法論の結果、石動山の僧・満蔵(日乗)を弟子とした。満蔵により石動山に招かれ法華経を説くも、山上の大衆により満蔵共々追われ、それが羽咋妙成寺の創建に繋がることとなった
法華壇
大樹の下
堂宇の跡と思われる場所に桜の巨樹
法華経6万部の御経祈願を立てていた円善上人が、この地で果て骸骨になっても、なお読経を続けているのを見た壱叡上人が法華壇を築き供養したのが始まりとされています
見事な石垣が遺ります







