上皇が 休息した 深専寺

西山浄土宗「深専寺」

開基(創立者)は明秀上人と伝える

行基の開祖による海雲院という寺院として創建されたとされる

平安時代末期に盛んになった熊野三山への信仰により、熊野街道の通る湯浅が交通の要害として発展していた

南北朝時代、1462年(寛正3年)または1431(永享3年)頃に、荒廃していた海雲院を、赤松則村の曾孫である明秀上人が、浄土宗西山派の教えを持って「深専寺」と改称し再興した

承応年間(1652年 – 1654年)の「湯浅の大火」によって深専寺は全焼し、寛文3年(1663年)より浄財公募による再建の際、紀州藩徳川頼宣より財政支援を受けた

格式の高さを表す5本線

京都・聖護院が、熊野や大峰での修行の帰路に深専寺に立ち寄り、休息をとったと言われており、書院には菊の御紋の透かし彫り欄間の入った聖護院御殿とも呼ばれる一室があります

※住職さんに電話でお訪ねしたところ、「シンパク」とのこと、樹齢は分からないとのことでした。湯浅ではお寺や神社に植えられているそうです。タムラの神社にも大きな「シンパク」があるとのことです!!

紀伊国名所図会には、立石道標とともに深専寺の境内が描かれており、周辺の賑わいが見てとれます

「シンパク」:真柏はヒノキ科のイブキビャクシン。小豆島土庄の宝生院の国指定天然記念物シンパクは、幹周り16.9m、高さ20.9m、推定樹齢1600年が有名

嘉永7年(1854年)旧暦11月に発生した安政南海地震の記録(経過と津波による被害状況)を伝える「心え之記」

碑文の締め括りには、地震が起きた際には必ず津波が押し寄せるものと認識し、決して浜辺や川筋には逃げず、深専寺門前を東へ向かい、天神山に逃げるよう記されている

古い家屋

熊野道解説板