最初に 城を築いた 藤原氏

月山には月山富田城が築城される前から、山麓に里宮の勝日神社、山頂に奥宮の勝日高守神社があったとされ、勝日神社は大己貴命(オオナムチノミコト)を祀り、勝日高守神社は大国主命(オオクニヌシノミコト)を祀っていました

古事記によると、大国主命が国造りの際、協力者であった少彦名命が常世国(とこよのくに)に行ってしまったため困っていると、神々しい光が海を照らして浮かびやがり、その後の国造りを助けたとされています

 

その神に名前を聞くと「あなたの幸魂奇魂」と名乗りその場所が月山だったことから、大己貴神を勝日神社に祀り、大国主命を勝日高守神社に祀ったとされています

約870年前、藤原景清(平景清)というお侍が月山富田城を築いたといわれています

景清は平家の侍大将で、源平合戦で活躍しその名を挙げました

その景清が出雲国(島根県東部)にやって来て、月山に城を築くことを決めたが月山の山腹には神社があり、景清は「戦になって神社に何かあってはいけない」と考え、城を築く前に神社を移すことにしました

ある日の夜、真っ暗な月山の頂上に景清の姿がありました

手には一本の白羽の矢を持っており、風が治まったのを見ると矢を弓にかけ、空に向かって放ちました

矢は「ヒョウ」と音を立て、はるか彼方の暗闇へ吸い込まれて行きました

明るくなってから飛んでいった方へ矢を探しにいくと、大きな松に矢が刺さっており、景清はこの場所が天が示した場所だとして、神社を移すことに決めました

この場所が、現在の富田八幡宮で、刺さった松は矢中の松(やたてのまつ)と呼ばれています

富田八幡宮の境内には、景清の矢が刺さったとされる矢中の松が立っています

松は四代目で、当時のものではありませんが、この場所からは約1キロ先の月山の頂上が望め、伝説を今も感じることができます

景清が放った矢は、富田八幡宮に社宝として大切に保管されています