尼子6代 難攻不落 山城落つ

花の壇から三ノ丸石垣

奥書院

広瀬町戦没者慰霊塔

 

 

尼子晴久:中国六ヶ国の守護となり、尼子氏の領国が最も繁栄しましたしかし毛利領の吉田郡山城を攻め大内氏・毛利氏に大敗し、その後内政に力を入れ領国の統治を安定させました

『新宮党』の横暴な振る舞いを苦々しく思いながら功績を思い目をつぶってきましたが、毛利元就に謀られ『新宮党』を滅ぼし、尼子軍のさらなる弱体化を招いてしまいます

尼子義久:毛利元就の出雲侵攻を受け、富田城にて篭城戦を行うも、4年後に毛利氏からの和睦の申し入れを受け降伏、月山富田城は落城。義久を慕う家来達も散り散りとなり、幽閉された後、晩年僧となって余生を送ります

尼子勝久:『新宮党』滅亡の際に辛くも難を逃れ、京都で僧となって過ごしていましたが、尼子再興を計る鹿介ら尼子遺臣に擁立され、尼子再興軍の総大将となります

一時勢力を回復するも振るわず、羽柴秀吉の中国遠征に従いますが毛利氏・宇喜多氏に包囲され籠城し切腹し尼子氏再興の道は絶たれることとなりました

山中幸盛:通称山中鹿介

毛利氏の出雲侵攻で勇戦しましたが、月山富田城が落城し義久が毛利氏に下ると浪人となり諸国を放浪する

その後勝久を再興軍総大将に擁し領国奪回に奮戦

総大将の勝久が自害すると捕えられ、護送中に暗殺されました

「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったと言われている