神等去出(からさで)は 万九千社(まくせのやしろ) お立ち寄り

斐川町にある万九千社(まくせのやしろ)、

通称・万九千神社(まんくせんじんじゃ)

立虫神社(たちむしじんじゃ)の境内社として祀られている

神在月にお集まりになる八百万神が出雲で最後にお立ち寄りになる場所とされている

本殿はなく、神殿(拝殿に相当)の後ろに神籬(神木)と磐境を有する

御祭神:五十猛命(いたけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・抓津姫命(つまつひめのみこと)

万九千神社は、神在祭(毎年の神在月、旧暦10月)に際し、全国から出雲へと参集された八百万神が最後にお立ち寄りになるとの神話を今に伝えています

八百万神は当社において、出雲路における神議り(かみはかり)を締め括り、神宴(直会=なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさるとされています

遥かいにしえより、「不動の霊地」とされる鎮座地周辺は、古代、出雲国出雲郡神戸郷(いずもぐんかむべごう)と呼ばれていました

神戸とは、熊野大神と杵築大神の御神領のこと

水路と陸路における交通の要衝として、また斐伊川下流域に広がる稔り豊かな大地の鎮めとして、重要な祭場として今に至っています

万九千社の創祀、創建は定かではなく、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』にみえる「神代(かむしろ)社」、「神代神社」が、のちの「万九千社」にあたると伝えています

少なくとも約1300年前には、その歴史をさかのぼることができます

中世になると、当社は「神立(かんだち)社」(鎌倉時代頃)や「神達(かんだち)社」(安土桃山時代)と称されていました

近世になると、「神立大明神」、「万九千大神」などと称され、明治維新以降は、立虫神社(旧村社)の境内社(旧無格社)、「万九千社」として祭られています